| 「愛情の代価」
ノックの音で目がさめた・・・。
たっぷり汗をかいて、シーツが濡れている。またあの夢を見ていた。ノックは続いている。
今開けます。俺はそう言うと起きあがり、ノブをひねった。そこにはいつもの顔があった。
おはようレイン、またうなされていたのかい?年のころは40ほど、少々小太りだが、若いころはもてたと本 人は言って譲らない。アンジェラおばさん、この下宿の大家だ。またあの人が来ているよ。とりあえず待っても
らっているけど、通していいのかい?そう言いながら部屋を見渡してため息をつく。お願いします。俺はそうこ たえ、シャツを脱ぎ捨てる。アンジェラはしょうがないという顔をしてそれを拾い出ていく。洗っておいてあげ
るよ、それから朝食は下にあるから、話が終わったら食べにきなさいよ。そう言っていそいそと階段を降りてい った、いや、どすどすと言ったほうが適当か。
去年父が死んでからこの下宿に越してきた。アンジェラは夫と息子を事故でなくしており、俺に母親のような 態度で接してくれる。それが嬉しくもあり、くすぐったくもあった。アンジェラといることで父のいない寂しさ
が少し薄れるような気がした。そんな思考を断ち切る様に、きしむような音がしてドアが開く。やあミスト、お はよう。ニヤニヤ笑いながらそいつは入ってきた。
カロン 、ここではその名前で呼ぶな。俺ははき捨てるように言うと睨みつける。まあそう怒りなさんな。今日はプレゼ ントを持ってきた。カロン・・・仲介人はまだニヤニヤ笑っている。ふん、どうせまたくだらない依頼だろう?
そう言いつつも俺は神経を集中する。聞き逃すまいとする。俺にはこいつから入る情報が全てだった。聞き逃す ことは死を近づけることを意味する。大抵のことならば何とかする自信はあるが、わざわざ自分から危険にする
必要もない。死ぬことは怖いことだとは思えなかったが、父のようには死にたくなかった。少なくともあそこに は誇りはなかったように思えるからだ。
カロンの笑みが不意に止む。今度は飛び切り素敵な依頼だよ。オブライエン家の一人娘、シェリーを暗殺して もらおう。そう言うとまたカロンはにやついた。何をするにも演技のかかった奴だ。・・・なんだ、いつもの依
頼と変わらない。女だから、子供だからといって俺のすることがなにか変わるわけじゃない。そう言いながら俺 は少し動揺していた。シェリー=オブライエンはヴェスパーで5本の指に入る大商人の一人娘だった。
1週間後の真夜中、俺は屋敷のそばの路地にいた。下調べはこの1週間でついていた。屋敷の見取り図、警備 状況、シェリーの1日の動き。もっとも最後のひとつは単純なものだった。シェリーは自分の部屋から出ること
はない。彼女は盲目だった。そして、ついでながらシェリー暗殺の依頼者も見当がついた。リーゼル=オブライ エン、彼女の叔父だ。シェリーの父が死に、その財産をシェリーが全て受け継いだのだが、これを欲しがってい
るらしい。まあこれについてはわざわざ調べたわけではないし、調べる気もない。町ではもっぱらのうわさだっ た。依頼人についての詮索は、ただでさえ短い暗殺者の寿命をさらに縮めることになる。人通りがないのを確認
して、俺は懐から黒い瓶を取り出し飲み干した。そして塀を乗り越えた。
塀の向こうには別世界が広がっていた。何もかもがきちんと整えられ、配置されていた。そこはあたかも完成 された世界のようで、入ってくる全てのものを拒絶していた。少なくとも俺の居場所はここにはない。もっとも
外の世界にも俺の居場所があるとは思えないが・・・。
庭は真夜中だというのに昼間のように明るく映っている。黒い薬の効果だ。見た目は悪いが、この薬は使用者 に一時的な暗視能力を与える。効果時間は作成者の腕によってまちまちだが、俺の腕なら暗殺を終えるまでは問
題ないだろう。注意深く見まわしたが、人影はなかった。シェリーの部屋はわかっている。俺はゆっくりと歩い ていった。やがて窓の下に辿りついたのでよじ登る。豪華な家というのは、どうしてこうもよじ登りやすいのだ
ろうか?いつもながら少々理解に困る。窓は当然ながら閉じており、鍵もかかっているようだ。音もなく鍵を開 けるというのはなかなか難しい。俺はロックピックをとりだした。だが、俺が窓に触れた瞬間それは音もなく開
いた。
こんばんは。そう言って俺に声をかけたのは1人の少女だった・・・。シェリー!俺はさすがにあせった。気 配は完璧に消していたはずだ。それを盲目の少女に気付かれるとは・・・。ふふ、窓から入ってくるなんて、泥
棒さんみたいね。でも安心してね、誰も呼んだりしないから。その代わり、少し私とお話してちょうだいね。そ う言って俺を見つめた彼女の瞳は灰色に濁っていた。それは口元の微笑みと対照的だった。
俺は完全に毒気を抜かれていた。まさか暗殺対象に話しかけられるとは・・・。今まではそんな暇を与えもし なかったが・・・そんなあせりもあり、この少女に対する興味もあり、殺す機会を逸した。いつのまにか俺はシ
ェリーの話に聞き入っていた。そこには俺の知らない世界が数多くあった。
シェリーは聡明な子だといってよかった。目が濁っていることを覗けばすばらしく美人だといってもよかった ろう。まあ、闇ばかり覗いている俺に人の美醜がわかるとも思えなかったが・・・。話はいつのまにか叔父の話
に移っていた。叔父、リーゼル。シェリーを殺そうとしている張本人だ。シェリーは叔父のことが大好きなよう だった。
あーあ、叔父さんとは結婚できないんだよねぇ。シェリーはそういって力なく微笑んだ。私の目が見えなくな ってから、来てくれる人はね、叔父さんだけだったの・・・。忙しい人だから毎日はきてくれないけれど、暇を
見ては逢いに来てくれたんだ。叔父さんね、かっこいいんだよ。すらっとしていつも難しい顔をしてるけど、ほ んとは優しいの。あーあ、叔父さんと結婚できればなあ・・・。
皮肉な話だった。その叔父の依頼でこうして暗殺者が来ていると言うのに、その暗殺者にのろけているのだ。 まあ、聞いている暗殺者もおかしなものだが・・・。いつのまにか俺のなかではシェリーを暗殺するということ
をほとんど考えられなくなっていた。今思うとあれが初恋だったのかもしれない。だが、そのときはただ、シェ リーに見とれ、その声に聞き惚れていた。なにより、彼女からにじみ出る優しさのようなもの、素直で自然な振
る舞いに惹かれていた。
俺はシェリーのひとことで我にかえった。
ねえ、暗殺者さん。
なにも言えなかった・・・。
そろそろ、・・・お願いします。話を聞いてくれてありがとう。私久しぶりに楽しかった。そういってシェリ ーは力なく微笑んだ。
シェリー、俺は・・・。できない・・・。混乱して何がなんだかわからなかった。なぜシェリーが、俺が暗殺 者だと知っている?
あは、私ね、知っていたの。ある日突然叔父さんは私のところにこなくなった・・・、お父さんが死んだ日か ら。なんでかもすぐにわかった。叔父さんは私の財産が欲しくなってしまったの。それで私を憎むようになった
・・・。誤解しないで欲しいんだけど、叔父さんは財産目当てで私を見にきてくれてたわけじゃない、そんな叔 父さんが好きだった。本当は叔父さんにすべてをあげたい。でもね、そうはいかないのよね。叔父さんと結婚で
きればよかったんだけど・・・。
お願いします。シェリーはもう一度そういった。すこし、震えてきちゃった。いざ死ぬとなるとなかなか覚悟 は決まらないものね。
俺は・・・。
暗殺者さん、誤解しないで欲しいの。私今震えているけれども、本当に殺して欲しいの。私が叔父さんにでき ることはこれしかないから。第一ね、もう青い空も、綺麗な花も、叔父さんの顔を見ることもできない。愛する
人を見ることができない苦しみがあなたにわかるかしら?真っ暗な世界で生きていくことのつらさがあなたにわ かるかしら?
お願いします。シェリーは三度そう言った。
俺は、言葉もなかった。
気がついたとき、俺は自分の部屋でうずくまって、すすりないていた。いつからあるのだろうか?傍らには少 し冷めた食事があって、その心遣いが今の俺にはなおさらつらかった。
翌日外に出てみると、街はシェリー=オブライエンが何物かに暗殺されたことと、リーゼル=オブライエンが その財産を引き継いだこと、その噂でもちきりだった。
To
be continued
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