「溶けない氷」

 その男はみすぼらしい格好をし、声を枯らして叫んでいた。
 俺の復讐に力を貸してくれ!ただ目的の場所まで俺を守り、連れていってくれるだけでいい。モーディット、 あの怪物を殺してやる!
 昼下がりのヴェスパー銀行前、周囲にいるものは露骨にあざ笑うか目をそらして通りすぎていく。それも仕方 がない。モーディット、ブリタニアにいる最強の4頭の竜のうちの一頭だ。その存在すら信じていないものがほ とんどだろう。俺も無視して通りすぎようとしたそのとき、あるものが目に付いた。それは男の握り締めている 宝石だった。
 溶けない氷、その宝石はたしかそう呼ばれていたはずだ。強大な魔力を秘め、持ち主の願いをかなえるという 宝石。少し大きめの水晶のなかに何か生物のようなものが入っている。ねじくれた・・・そう、まるで胎児のよ うな。他にもなにか伝承があったはずだが、思い出せなかった。しかし俺は男に興味を覚えた、いや、正確には その宝石に興味を覚えたのだが・・・。私はレイニール、話を聞こうか。俺は男に声をかけていた。
 男の名はバーレルといった。コプトス山脈のふもとに住み、狩をして生計を立てているらしい。いや、立てて いたと言うべきか。バーレルはおととしの冬、妹と狩りにでてモーディットの支配域に入りこんだ。彼はかろう じて逃れたが、妹はモーディットに殺された。彼の話をまとめるとそうなる。ただ彼は、復讐にすごく自信があ るようだった。恐らくあの宝石の使い方を知っているのだろう。俺は旅の準備があるといってその日は別れた。 休暇を買わなくてはならない。
 休暇を買う、まあ普通はそんな必要はないだろう。でも俺は普通ではなかった。ギルドに属する暗殺者だった のだ。 Balance of Law・・・世界有数の組織だ。これに対抗できるのは表の世界なら魔術師評議会、裏の世界ならバッカニアーズ デンを本拠とするシーブズギルドぐらいのものだろう。俺は貯めていた金を使って、半月の休暇を買った。もと より暗殺者には金などさほどの意味をもたない。ただ金目当てでやっていられる仕事ではない。ほとんどのもの が何かしらの理由を抱えている事だろう。俺の場合は、気付いたときにはもう抜けられなくなっていたと言うと ころか・・・。まあ、そんなことはもうどうでもいい。今しなければならないのは旅の準備だった。この季節の コプトスは非常に厳しい。下手をすると、モーディットなど出ずとも寒さで息絶える事だろう。買い物を済ませ るため、俺は街へと出ていった。
 翌日待ち合わせていた酒場で落ち合った。バーレルはすでに準備を終えていた。恐らくかなり前から準備して いたのだろう。昨日までのみすぼらしい服とはうってかわって、そこには精悍な猟師がいた。しかしどことなく 悲壮な感じが漂う。・・・まあ、竜退治、言ってみれば自殺と同義なのだから無理もないが。
 一つ、聞きたい事がある。そういってバーレルはじっとこちらを見つめた。俺はね、一緒に行ってくれる人を 求めていたが、それもほとんど来てくれると思っちゃいなかった。あんたはなんで来る気になった?竜退治だぞ 、確実に死ぬぞ!?俺は手を開いた。そこにはあの宝石があった。まあ、すれ違いざまに掏っておいたのだが・ ・・。それは!声にならない叫びをあげ、慌ててバーレルが宝石をひったくる。これに興味があるのだ。まあ、 そう心配しなくても奪ったりはしない。ただ、その結末を見てみたいだけなのだ。バーレルはなにも言わずに席 を立ち、歩き始めた。俺も黙ってついていった。
 見てみたいだけ、と言うと嘘になるかもしれない。正直言って、俺は宝石の伝説など信じちゃいなかった。た だ俺は毎夜見る夢から逃げたかったのだ。・・・毎夜夢に現れる少女、その瞳は虚ろだ。薬を飲もうが何をしよ うが、その少女を見ない日はなかった。確かに俺は逃げたかった。だが、自殺する勇気はなかった。自分の前に あった幾多の死が俺にそれをさせなかった。今は自分をこの苦しみから解き放ってくれるものを求めていたのか もしれない。竜ならその恐怖を感じさせる間も無く楽にしてくれるかもしれない、そう思っていた。
 コプトスと言うと、コプトスの洞窟が有名だ。ハーピーやゲイザー、奥深くにはアンデッドやドラゴンまでが 住まうと言う。だがコプトスで真に危険なのはその洞窟ではなかった。コプトス山脈の頂き近く、雪に覆われた 場所がもっとも危険だ。即ち"邪竜"モーディットの支配域。ここは雪に覆われながらも数多くの生物が生息して いるらしい。恐らくバーレルとその妹はそれを狙って、モーディットに襲われたのだろう。俺たちはその場所に 向かっていった。
 バーレルの足取りは確かだった。猟師としての腕は相当なはずだ。途中何度かモンスターの襲撃を受けたが、 問題なく撃退した。俺の毒の刃を受け、顔を紫色に変色させて死んでいく妖魔を見ても、バーレルはなにも言わ なかった。まあ、毒などとくに珍しくもないといえばその通りだが・・・。
 旅に出て5日目だった。ふいに空気が変わった。何が変わったとはうまく表現できないが、確かに変化があっ た。ここへは近づいてはいけないという警鐘のようなものが俺の頭の中で鳴り響いた。それはほとんど恐怖だっ た。だがバーレルは動じなかった。ただ黙々と歩いて行く。小1時間ほど歩いたころだろうか、古ぼけた橋がか かっている谷に突き当たった。この橋を渡るのか?と問うとバーレルはいいやと答えた。もう、ついている。そ のとき巨大な影ががけの下から飛び出した・・・。
 それは絶対だった。
 巨大な竜がそこにいた。深い緑色をしたそれは、ほとんど神々しくすらあった。俺もバーレルも動けなかった 。金縛りにあったようだった。竜はその翼だけをゆっくりと動かしながら、空中に静止していた。そうしてしば らくたっただろうか、俺にとってはほとんど永遠に感じられる時間がすぎたころ、竜がゆっくりと口を開く。矮 小なるものよ、立ち去るがいい。今はお前たちに興味はない。そう言って俺たちを見下ろした。そう言われても 俺達は動けなかった。全てが凍り付いていた。身体も、心も・・・。
 長い沈黙を破り、最初に動き出したのはバーレルだった。例の宝石をとりだす。そうしてなにか呪文のような ものを唱えた。影の王よわが願いを叶えよ!最後にそう叫ぶと宝石を地面にたたきつけた。その瞬間竜が嘲りの ような、哀れみのような笑いを浮かべたように見えた。宝石には何も変化がなかった。そしてバーレルは竜の吐 息の前に消し炭と化していた。
 俺は無我夢中で逃げた。背中から声が聞こえてくる。これを届けてくれてありがとう、人間よ。お前達には過 ぎた物だ。帰ってみなに伝えるがいい、私の恐怖を、この世界をすべるのは人間ではない事をな・・・。
 気がついたら傷だらけだった。走る途中で木にでも引っ掛けたのだろう。俺は服を切り裂いて手当てをすると 、また歩き出した。まったくなんて愚かな事をしたのだ、俺はそうつぶやいた。しかしこの件で俺は幾つかのこ とを学んだ。何があろうと俺は死にたくなどないのだ。幾多の人の死が俺の前にあろうと、俺が生き続けること がほかの人間の死を意味しようと、俺は死にたくなかった。あがきたかった。いろいろな悲しみを、俺は見てき たと思う。これからも多くの悲しみがあるだろう。でも俺は生きていたかった、何かを見つける為に。それがな にかはわからないが、もう俺はあの少女の夢を見ないような気がした。
 その日眠りにつく直前にふと思い出した。あの宝石の由来。溶けない氷は魔王の揺りかご、影の王を育み守る 。人の心を糧にして・・・。願いはたしかに叶えるのだ、ただそれが真に、あまりにも真に心の願いを叶えすぎ る。バーレルの願いは、きっと自らの死だったのだろう。俺はそうはなるまい、1秒でも長く生き抜いてやる、 そう心に決め眠りについた。一年半ぶりの深い眠りだった。


                                                                     To be continued