「生命の賛歌」
その日の俺は震えていた。漠然とした不安、恐怖、そして自分の死についてぼんやりと考えていた。自分が消 えてしまうというのはどんな気持ちなのだろう。暗殺者として数えきれないほどの人を殺し、そうやって生きて
きた俺が死を恐怖するとは皮肉なものだ。
まあそれも仕方のない事だろう。その日の俺のターゲットは魔術師。それもヴェスパーに住まうものなら誰し もが知る"灰色の塔"の主ノーデルニムス、俺が知る限り最強の魔術師の1人でもあった。
"灰色の塔"、ヴェスパーで最も高い建物であり、ヴェスパーのどこからでもその姿を見る事ができる。その周 りは小規模ながら森に覆われ、恐らくはヴェスパーで最も美しい光景のひとつであったろう。だがその塔へ目を
むけるものはほとんどいなかった。そこには多くの噂が付きまとっていたからだ。いわく、古代の死霊がすみつ いている、狂った魔術師の作り出した奇怪な生物が住みついているなど、言ってみればたわいもない都市伝説だ
。だがそこへ行ったものが帰ってこないことは事実であった。だが、真相は違った。ギルドの情報が真実だとす るならば、いや真実だと言うべきだろう。なぜならギルドが間違っていた事は、ただの一度もないのだから。そ
の塔には、魔術師が住んでいた。
ノーデルニムスは優秀な魔術師だった。恐らくは天才と呼べるほどの魔術師、だが、6年ほど前に魔術師評議 会を追放されていた。確か、評議会の禁断の書を盗み見たとか、禁呪とされている魔法を使ったとか、そんな噂
がまことしやかに囁かれていたはずだ。その真相はわからない、だがノーデルニムスが塔にいる事は確実で、そ れを俺が殺さなければ代わりに俺が死ぬ事になるというのは絶対の事実だった。
俺は市街地を抜け、塔へと近づいていった。遠くから見るとあれほど優美に見える塔が、今の俺には奇怪にねじくれて見えた。それを囲む森までが悪意を持っているように思えた。
森の中は昼間だというのに薄暗かった。時折小動物が姿を見せるが、それも俺を見ると逃げ出していく。だが 、本当に逃げ出したいのは俺だったろう。ただの森、ただの塔だと自分にいくら言い聞かせても震えは止まらな
かった。あの塔には何かある、そんな自分の中での言いようのない恐怖と不安感が、塔や森の姿まで変えて見せ た。俺はまるで、暗闇で1人きりで泣いている子供のようだった。
そうして考え込んでいると、いつのまにか俺は塔の入り口が見える辺りまできていた。辺りは少し開けていて、 草一本すらはえていなかった。それはまるで、木々や草花が塔を避けているようでもあった。もちろん周囲に人
はいない。だが、念の為俺は、塔の外周を調べてみることにした。
少し歩いて、ちょうど3分の1ほどまわった時だろうか、掘り返された土のあとが見つかった。それはこんも りと盛りあがっていた。俺はそんな暇はないと思いながらも好奇心に負けそれを掘り返した。
そこにあったのは地獄だった。
人間の皮とでも言えばいいのだろうか、死体が干からび薄っぺらになったもの、それが幾重にも積み重ねられ ていた。これは墓のつもりだったのであろうか、むしろうち捨てられている、ごみ捨て場とでも言う表現が正し
いと思う。俺はその場に嘔吐した。暗殺者の俺に言える事ではないが、この死に方に人間の尊厳はなかった。死 に尊厳などあるのか、と思うかも知れないが、最近俺はそれを考える事が多い。いつか俺も死ぬのだろうが、満
足して死ねるのだろうか、そんな事をつい考えてしまう。せめて死ぬまでに父の言った言葉の意味を知っておき たい。それができれば俺は満足して死ねるような気がするのだ。
穴の中の死体は数え切れないほどあった、少なくとも30はあったと思う。俺はまた土をかぶせて、上に小さ な石を置いた。自分でやっておきながらその行為に少し苦笑した。それになんの意味があるというのか。それを
終えると俺は、自分がもう少しでそれに加わるかもしれないという考えを無理やり頭から追い出しながら、足早 にそこを離れた。
塔には窓から入った。鉤つきのロープを窓にかけ登って行った。表面は苔で滑りかなり困難だったが、なんと か登る事ができた。おかしなことに塔の中には、まったく人の気配がなかった。薄暗く明かりすらない。窓から
入る光が全てだった。この塔は5階建てであり、それぞれの階に部屋が3部屋あった。俺は武器を確認して、捜 索を始めた。上の階から調べたが5階から2階まで小一時間で終わってしまった。ノーデルニムスはいなかった
。それどころか、不思議な事にどの部屋も生活感というものがないのだ。蜘蛛の巣で覆われ、埃にまみれ、自由 に歩く事すら難しかった。本当にこの塔に魔術師が住んでいるのだろうか。
一階に下りたとき、少し他の階とは違う事に気がついた。この階には蜘蛛の巣が少なく、埃も少なかった。相 変わらず人の気配はないが、恐らくはどこかに例のものがあるはずだった。一階をしばらく調べていると、何も
ない小さな部屋を見つけた。恐らくここだろう。床を叩くと、軽い音が返ってくる。当たりらしい。俺は巧妙に 隠された取っ手を見つけ音を立てないように床石を持ち上げた。そこには下へ降りる階段が続いていた。俺は薬
瓶を取り出し、黒い液体を飲みこむと、そろそろと降りていった。
下は研究室になっていた。奇怪な品々が所狭しと並べられ、さまざまなねじくれた標本が、こちらに恨めしげ な視線を向けていた。奥の部屋からは明かりが漏れていた。恐らくノーデルニムスはそこにいる。俺は青い薬を
飲み干しドアを蹴りあけた。その瞬間俺の身体は麻痺していた。
そこには壮年の魔術師がいた。目は鋭く、痩身だが、力強い印象を与える。魔術師は、いや、ノーデルニムス はこちらを値踏みするように見ると、満足したように頷いて、これならばしばらくは持つだろう、そう呟いた。
少し待っているといい。すぐにその呪縛から開放してやろう。そう言うと、傍らのチェストをごそごそとあさり 始めた。
何とかしなければならない、恐らくは麻痺の呪文をかけられたのだろう。俺の襲撃に気がついて用意していた に違いなかった。麻痺の呪文は何らかの肉体的ダメージを負う事で、解くことができる。少しでいい、動いてく
れ、俺は渾身の力をこめて身体を動かそうとした。コトリ、と瓶がひとつ落ちた。
恐らくノーデルニムスには何が起こったかまったくわからなかっただろう。俺の足元が爆発し、驚いて振り向 いたやつの首筋にダガーが突き刺さっていた。
タ・・・リア・・・。
そう言い残して奴は息絶えた。
俺は傷の手当てをして、戻ろうと思った時に、ふともうひとつ部屋があるのに気がついた。そしてそこから漏 れてくる、苦悶の声に。ドアを開けると哀れなほどに痩せこけた10歳ぐらいの少女が粗末なベッドに横たわっ
ていた。
少女はまさに今死を迎えるところであった。咳き込むその息の中にヒュ−という音が混じり、口の周りは血で汚れていた。そしてうわごとのように呟いていた。
お父さん・・・お父さん・・・。
俺は戸惑った、どうしていいかわからなかった。
お父さん・・・、そこにいるの?ね、タリアの手を握ってよ・・・。
少女の目はもう役目を果たしていなかった。俺は少し悩んでから黙って手を握った。
ねえ、お父さん、もう、やめにしようよ・・・。あたし人の命なんていらない、もう苦しくって、このまま、 眠りたい・・・。いいよ、ね?
ああ、俺にはそれしか言えなかった。
よかっ・・・た・・・、また、怒られるかと、思った。ねえ、・・・お父さん。だいすき、だ・・・よ。お父 さんも、あたしの・・・こと・・・す・・き?
ああ、俺にはそれしか言えなかった。
よ・・かった・・・。
そう言って少女はこときれた。俺はその場から動く事ができなかった。少女は心なしか微笑んでいるように見えたが、それはそうあって欲しいという俺の思いからそう見えたのかもしれなかった。どちらにしろ涙のせいで
俺の目はよく見えなかった。
ノーデルニムスはこの少女のために人から命を奪っていたのだろう。人の命を奪う事でしか生きる事のできない俺は、彼のした事をどうしても悪いとは思えなかった。彼と俺になんの違いがあるのだろうか。俺は自分の無力さを感じながら、その塔を後にした。
To
be continued
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